京都地方裁判所 平成10年(ワ)1087号 判決 1999年6月14日
原告
香川進
右訴訟代理人弁護士
中川厳雄
同
田中文
被告
ランバーメンズ・ミューチュアル・カジュアルティー・カンパニー(保険相互会社)
日本における代表者
バーナード・ネビル・ハベット
右訴訟代理人弁護士
今後修
同
永井幸寿
主文
一 被告は、原告に対し、一二五二万円及びこれに対する平成一〇年五月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
主文同旨
第二 事案の概要
本件は、帰宅途中の交通事故により傷害を負った原告が、傷害保険契約における就業中の危険担保特約に基づき、保険会社である被告に対し、保険金の支払いを請求したのに対し、被告が、原告との右保険契約は、業務中(ないし通勤途上)に負った傷害に限り保険金を支払うものであるところ、右交通事故は、右特約所定の保険事故に該当しないと争った事案である。
一 争いのない事実等
1 普通傷害保険契約の締結(以下「本件保険契約」という。)
近畿自家用自動車共済協同組合(以下「近畿共済」という。)は、被告との間で、被保険者を原告として、次のとおり、普通傷害保険契約を締結した。なお、原告は、右契約時、近畿共済の専務理事であった。
(一) 契約日 平成七年四月二六日
(二) 保険期間 右同日から平成八年四月二六日まで
(三) 契約内容 被告は、被保険者(原告)が、急激かつ偶然な外来の事故によって、その身体に被った傷害に対し、次のとおり、保険金を支払う。
(1) 死亡・後遺障害保険金 一一四二万円
(2) 入院保険金 日額 五〇〇〇円
(3) 手術保険金 入院保険金日額に手術の種類に応じて本件保険契約約款の別表5に掲げる倍率(頭蓋内観血手術については四〇)に乗じた額
(四) 年額保険料 一万二二四〇円
(五) 就業中のみ危険担保特約(以下「本件特約」という。)
被告は、被保険者(原告)がその職業または職務に従事している間(通勤途上を含む。)に被った傷害に対してのみ、保険金を支払う。
(六) 死亡保険金以外の保険金受取人 被保険者
2 交通事故が発生するまでの原告の行動
原告は、平成八年三月五日、神戸市中央区海岸通共栄ビルで、午後四時から午後五時二〇分まで、兵庫県自家用貨物自動車事業協同組合(以下「兵庫県貨物」という。)との事務打ち合わせ会(以下「本件打ち合わせ」という。)に出席した後、出席者の一部と午後五時三〇分頃から午後九時〇五分頃まで会食・二次会に参加した(以下「本件会食行為等」という。)。
原告は、右会食後、新神戸駅から新大阪駅まで新幹線に乗車し、同駅でJR東海道本線米原行きの列車に乗り換えた。
原告の自宅は、京都府宇治市にあるので、原告は、京都駅で降車してJR奈良線に乗り換え、黄檗駅で降車すべきところ、居眠りをしていたため、終着駅の米原駅まで乗り過ごした(以下「本件乗越し」という。)。しかしながら、既に京都方面行きの列車の終電の時刻は過ぎていたため、原告は、タクシーで帰宅しようと思い、米原駅を降りて、同駅付近の国道を横断していたところ、次項3のとおり、交通事故に遭った。
3 交通事故の発生(以下「本件事故」という。)
(一) 発生日時 平成八年三月六日 午前〇時三五分頃
(二) 発生場所 滋賀県坂田郡米原町大字米原<番地略>先路上(道路名・国道八号線)
(三) 加害車両 普通貨物自動車(<車輌番号略>)
(四) 事故態様 国道八号線を横断歩行中の原告に加害車両が衝突したもの
4 入院・治療経過
原告は、本件事故により、外傷性くも膜下出血、硬膜下血腫等の傷害を受け、次のとおり、入院治療を受けた。
(一) 関ヶ原病院(入院期間・同年三月六日から同月一一日まで[六日間])
本件事故後、原告は、関ヶ原病院に救急搬送された。原告の意識レベルは、搬送時はⅢ―3であったが、翌七日には、Ⅰ―3に改善された。
(二) 大阪脳神経外科病院(入院期間・同年三月一一日から同年七月二二日まで[一三四日間])
原告は、同病院入院中、急性脳腫脹を起こしたため、開頭血腫除去術等を受けた。
(三) 六地地蔵総合病院(入院期間・同年七月二二日から同年一〇月二六日まで[九七日間])
右病院退院時においても、原告には、記銘力障害を主とする大脳高次機能障害、左片麻痺、嚥下障害等の後遺障害が残存した。
5 労働者災害補償保険(以下「労災保険」という。)の認定
原告は、本件事故による障害は、業務災害であるとして、労災の認定を申請したところ、大阪中央労働基準監督署長は、右傷害が業務上の負傷であった旨認定し、次のとおり、労災保険給付金を支給した。
(一) 休業補償給付金 七九六万八二九九円
(二) 給付対象期間 平成八年三月二九日から平成一〇年一月九日までの間
二 争点
本件事故による原告の傷害が、本件特約所定の「被保険者がその職業または職務に従事している間(通勤途上を含みます。)に被った傷害」に該当するか否か。
第三 争点に関する当事者の主張
一 原告の主張
1 本件事故による原告の傷害が、業務中の負傷であること
(一) 原告は、本件事故の前日の平成八年三月五日、近畿共済の専務理事として、池田保険事務所(以下「池田保険」という。)とともに、兵庫県貨物との間で、自動車共済の共同販売の打ち合わせ(本件打ち合わせ)を行なうために、神戸市に出張した。
なお、「出張」とは、一般に、事業主の包括的又は個別的な命令により、特定の用務を果たすために、通常の勤務地を離れて、用務地に赴いてから、用務を果たして戻るまでの一連の過程を含むものであり、その過程全体における不慮の事故は本件特約所定の業務中の事故と評価されるべきであり、自宅を出て、自宅へ戻るような場合は、一旦出張命令が出されている以上、自宅を出て、自宅へ戻るまでの間を、包括的に出張とみるべきである。したがって、出張からの帰宅途中において発生した事故は、出張中の事故であり、業務中の災害に該当するというべきである。
(二) 原告は、右同日の午後四時頃から午後五時二〇分頃まで、本件打ち合わせに臨んだあと、兵庫県貨物側からの申出により、会食を行った。そして右会食後、引き続いて池田保険の申出により、二次会が催された。
本件打ち合わせ後の会食等(本件会食行為等)は、業務提携を約した三者(近畿共済、池田保険、兵庫県貨物)が今後の円滑な計画遂行を図り、相互の信頼を深めるために設けられたものに他ならない。右会食等は、多数の一般従業員の慰労福利厚生などを目的とした懇親会、親睦会とは全く性格を異にするものであり、日本の企業社会において、一定の接待は、避けられない慣例である。
このように、原告の本件会食行為における飲食は、業務の一環として行われたものであり、被告が主張するように、右会食等によって、「合理的経路からの逸脱ないし中断」があったとはいえない。
(三) 原告は、本来、京都駅で下車しなければならないところ、出張とそれに伴う接待によって疲労していたため、米原駅まで寝過ごしたものである。
原告は、列車の乗車前も乗越し後においても、終始帰宅の目的しか有しておらず、米原駅下車後においても直ちにタクシーを探していた。また、米原駅と京都駅との間は列車で約一時間であるが、接待後に疲労して帰途についた際の約一時間程度の列車の乗越しは、珍しいものではない。
そうすると、列車の乗越し後の事故についても、保険事故として付保される必要性が高く、保険契約者も保険給付が行われることを当然に期待している。かかる列車の乗り過ごしを「合理的経路からの逸脱ないし中断」と捉えて、保険金を給付しないことは、被保険者の保護に著しく欠けるものである。
(四) 本件保険契約は、労災保険契約ではないが、本件保険契約の約款の解釈にあたっては、労災保険給付の場合における労働基準監督署長の判断に従うことが適当である。そして、労災保険では、本件事故による負傷は、業務災害に当たると判断され、保険金が支給された。通勤経路からの逸脱又は往復行為の中断があった場合には保険金を給付しない労災保険ですら業務災害と認定したのであり、本件保険契約においては、経路の逸脱又は往復行為の中断の場合には保険金を支払わない旨の規定がないにもかかわらず、被告が、「合理的経路からの逸脱ないし中断」を理由に本件特約所定の事故に該当しないとするのは不当である。
2 保険金請求額
(合計一二五二万円)
(一) 入院保険金 九〇万円
前記のとおり、入院期間は、本件保険契約約款第七条一項の規定に基づき、次の計算式のとおり、一八〇日間の限度で、保険金の支払を求める。
五〇〇〇円×一八〇日間=九〇万円
(二) 手術保険金 二〇万円
前記のとおり、原告は、大阪脳神経外科病院において、開頭血腫除去術を受けたので、本件保険契約約款の七条四項、別表五9(2)により、手術保険金として、次の計算式のとおり、保険金の支払を求める。
五〇〇〇円×四〇=二〇万円
(三) 後遺障害保険金
一一四二万円
原告の後遺障害である大脳高次機能障害及び左片麻痺は、本件保険契約約款の別表2の10号「その他身体の著しい障害により終身常に介護を要するとき」に該当するから、本件保険契約約款第六条一項により、後遺障害保険金は満額支払われるべきである。
仮に、右号に該当しないとしても、被告の部内資料である「後遺障害認定の手引き」(乙六)に基づいて、当該後遺障害に対応する労災保険認定障害等級から労災保険等級読替表により、当該後遺障害に対するてん補率を算出することになっているところ、原告の肩関節・手関節の機能喪失については、てん補率五〇パーセントであり、股関節機能の喪失についてはてん補率三五パーセント、脳障害による言語障害についてはてん補率三五パーセント、嚥下障害についてはてん補率一五%であり、合計一三五パーセントのてん補率となるから、結局、本件では一〇〇パーセントのてん補率となる。したがって、右号に該当しないときでも、後遺障害保険金は満額支払われるべきである。
3 よって、原告は、被告に対し、本件保険契約に基づき、保険金一二五二万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成一〇年五月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 被告の主張
1 本件特約の解釈
本件特約は、会社の業務を遂行するに当たり、発生しうる従業員の災害について、その損害の補償を目的とするものであり、かかる特約が付された保険契約に基づき、保険金が支払われるのは、保険事故につき、業務性ないし業務関連性の存在が前提とされる。そして、通勤において「合理的経路からの逸脱又は往復行為の中断」があった場合には、もはや、業務関連性が認められない以上、「職業または職務に従事している間(通勤途上を含む。)」とはいえず、保険給付の対象外となる。
2 原告の本件事故による負傷が業務中に発生したものであるとの主張に対して
(一) 本件事故は、出張中の事故ではない。
まず、原告が、本件打ち合わせのために神戸市に赴いたのは、出張とはいえない。原告は、大阪市内の勤務先(近畿共済)事務所に出勤した後、神戸市内での本件打ち合わせに出席し、その後右事務所に戻るか、そのまま自宅に帰宅する予定であったかに過ぎない。原告は、本件事故発生の当日は午後三時頃までは勤務先にて執務を行っていたこと、右勤務先から神戸市内までは約一時間程度で行くことができること、帰宅方法については新大阪駅から平常の通勤経路を利用して帰宅していること等から、本件打ち合わせへの出席は出張ではなく、単なる公用外出というべきである。
したがって、本件打ち合わせ終了後、帰宅するまでの間は、「通勤途上」であり、その経路の逸脱等は、業務関連性を失わせるものである。
(二) 本件会食行為等は、「合理的経路からの逸脱又は往復行為の中断」に該当する。
仮に、本件打ち合わせへの参加が出張に該当するとしても、その経路において、「合理的経路からの逸脱又は往復行為の中断」と認められる行為が存した場合は、業務関連性は失われ、右逸脱ないし中断行為以降に発生した事故は、出張中の事故には該当せず、本件保険契約の対象外となる。
(三) 「合理的経路からの逸脱又は往復行為の中断」と認められる行為の有無
(1) 本件会食行為等は、業務の遂行に必要なものではなかった。
会食や二次会等の接待行為が、業務の遂行に必要な行為といえるためには、単に事業主の通常の命令によってなされ、あるいは費用が事業主から支払われる等の事情があるのみならず、右接待行為が事業運営上緊要なものと認められ、かつ、事業主の積極的特命によって認められるものでなければならない。
そして、本件会食行為等は、本件打ち合わせ後に兵庫県貨物から原告が招待を受けた会食と、それに対して原告及び池田保険らが「お返し」として招待して行った二次会に過ぎず、単なる懇親目的以上の意義はなく、原告の事業運営上必要なものであったとはいえない。また、右二次会の費用は、池田保険が負担しており、原告の業務遂行に関係があるとはいいがたい。なお、原告は、近畿共済の専務理事として、自己の裁量で接待を行う権限があり、接待等に関して社内での第三者による事前の決裁を受けるものではなかったこと等から、原告のなした接待行為がすべて業務上必要な行為であるとは限らないというべきである。
(2) そうすると、本件会食行為等は、業務遂行性がないから、その時点で通勤からの「出張における合理的経路又は逸脱ないし往復行為の中断」行為があったものというべきである。
(四) 本件乗越しも合理的経路からの逸脱に該当する。
また、原告は、本件会食行為等の終了後から、本件事故発生に至るまで、終始帰宅の目的しか有していなかった旨主張するが、「合理的経路からの逸脱」に該当するか否かは、帰宅行為の客観的側面についても検討すべきである。そして、原告の勤務先からの帰路としては、本来、京都駅で列車を乗り換えるべきところ、米原駅まで乗り過ごしたものであり、それは距離にして六〇キロ、時間にして一時間にも及ぶ乗り越しであって、もはや、通勤経路の範囲内にあるとはいえず、よって仮に本件会食行為等については業務遂行性があったとしても、その後に合理的経路からの逸脱があったというべきである。したがって、本件事故は、業務中に発生したものとは認められない。
3 原告主張の請求額に対して争う。
第四 争点に対する判断
一 事実関係
証拠(甲一ないし九、乙三、四の一ないし三、五、証人鍋嶋、証人池田)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる(なお、以下の日時は、特に示さない限り、平成八年三月五日を指すものとする。)。
1 兵庫県貨物は、物品の斡旋等を目的として設立された協同組合であり、近畿共済は、近畿地区の自家用協会が出資して設立した自家用自動車共済協同組合である。原告は、近畿共済の唯一の常任理事であり、平成八年頃からは、丹波地方や淡路地方等多方面に出向いて代理商の開設を進めるなど出張業務も多かった。
2 近畿共済は、池田保険の経営者池田宏(以下「池田」という。)から自動車共済共同販売の計画をもちかけられたところ、近畿共済も営業基盤が弱かったために、共済契約拡大を図るべく、右計画に賛同した。そこで、池田が兵庫県貨物の高溝専務、麻原常務と付き合いが長かったこともあって、同人らの口添えで兵庫県貨物に依頼して、その組合員らに対して右共済(以下「新商品」という。)の宣伝をしてもらうことを企画した。
3 そこで、池田が、平成八年二月末頃に、兵庫県貨物と日程を調整し、平成八年三月五日に、右共同販売のプロポーザルについての打ち合わせ(本件打ち合わせ)を行うことが決定された。
本件打ち合わせには、兵庫県貨物からは高溝専務及び麻原常務が、近畿共済からは原告が、池田保険からは池田がそれぞれ出席することとされた。右四者が全員集まって会合をもったのは初めてのことであった。
なお、原告は、専務理事の立場で、それまでからの業務日程については原告本人が決定し、近い場所への出張費用は後日精算払いを受けるなど、会社(近畿共済)に対しては事後報告する形式をとっており、本件打ち合わせの日程調整についても、原告本人が行った。そして、原告は、事務所の予定表のボードに本件打ち合わせの終了後は直接帰宅する旨を記入して予定を明らかにしていた。
本件打ち合わせでは、新商品については池田保険が代理商となること、新商品販売の斡旋についても兵庫県貨物の理事会で承認して積極的に宣伝すること、共同販売についての覚え書を作成すること等についての話し合いがなされ、午後五時二〇分頃、本件打ち合わせは終了した。
4 本件会食行為等
本件打ち合わせ終了後、高溝専務が、原告及び池田に対し、会食を申し出た。右会食は、神戸市中央区元町通二丁目<番地略>割烹「ふじ幸」で行われ、費用(料理費込六万〇三六二円)は高溝専務が支払った。
右会食後の午後七時三〇分過ぎ頃、池田が、高溝専務らに対し、右会食のお返しの意味を込めて二次会に誘い、午後八時頃から午後九時頃まで、同区栄町通二丁目<番地略>「スナック太田」において、原告及び池田側から、高溝専務及び麻原常務に対する接待が行われた。右接待費用(飲食・カラオケ代等、約二万六五〇〇円)は、池田が負担した。
5 本件会食行為等後の乗越し及び本件事故の発生
「スナック太田」での接待後、池田が原告をタクシーで新神戸駅まで送り、原告は、新神戸駅から新大阪駅まで新幹線に乗車し、同駅でJR東海道本線に乗換え、米原行きの列車に乗車したが、居眠りをしていたため、降車するはずの京都駅を乗過ごし、終点の米原駅まで乗車したため、タクシーで帰宅しようと思い、妻に「米原まで乗り過ごした。」旨電話連絡した後、同駅を降りて、付近の国道を横断していたところ、本件事故に遭った。
6 原告の後遺障害
(一) 原告は、前記争いのない事実記載の入院・治療経過を経て、平成一〇年一〇月二七日から平成一一年三月三一日まで、六地蔵総合病院にてリハビリ等の外来通院治療を受け、右三一日頃、原告は、症状固定の診断を受けた。
(二) 原告には、現在、次のような後遺障害が残存する。
(1) 左片麻痺 左手の指が動かず、左手で物を握ることができない。
左肩関節については、外旋運動が不可能であるほか、右肩関節に比べて可動域が制限されている。
左股関節については、外旋・内旋運動が不可能であるなど可動域に制限が見られる。
左肘を挙げる動作は、痛みが伴うために困難であり、左半身に体重をかけることができない。右足を前に出すときに左足に重心がかかるため、歩行困難である。
(2) 嚥下障害 液体を飲むことが困難であり、液体を飲むときは、とろみをつける薬品を用いている。声帯が変化し、「どもり」の症状も存する。
(3) 大脳高次機能障害 以前は温厚な人柄であったが、頭部外傷(脳挫傷)により、短気になったり、物を投げたり、一つのことについて家族を執拗に責めたりするなど精神的に不穏な状態が見られ、精神安定剤が処方されているほか、物覚えが悪くなったり同じ質問を繰り返すなどの「ぼけ症状」も存し、同僚の顔を忘れるなど過去の記憶にも影響が見られる。
また、字を書くに当たっても、枠や罫線に沿って適当な大きさ、配置で文字を記載することができず、周囲が指摘しなければ、文字のゆがみにも気づかない。
(三) 家族等の介助
原告は、単独歩行も不可能ではないが、日常生活では誰かに掴まって歩行している。家庭生活では、入浴・トイレ等には家族の介助が必要であり、一人で外出することはできない。原告の自宅では、手すりを付けたり、ドアを付け替えたりするなど、原告の家庭生活上の支障を軽減するよう工夫がなされている。
また、左片麻痺や、原告が時折見せる精神的不穏症状のため、同人が一人で過ごすことのできる時間には制約があり、家族等の付添看護が必要である。
二 判断
1 本件会食行為等の業務遂行性の有無
(一) 本件特約上、「被保険者がその職業または職務に従事している間(通勤途上を含みます。)に被った傷害にかぎり」保険金が支払われるものとされているが(乙二・二〇頁)、ここにいう「職業または職務に従事」の意義については定義規定が置かれていないところ、右特約文言からすれば、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)一条、七条一項一号所定の「業務」に準じて解釈するのが一般的な保険契約者の通常の意思に沿うものと考えられる。
そこでまず、本件打ち合わせへの参加行為が、事業施設以外における業務である出張に該当するか否かについて検討する。
出張とは、一般に、事業主の包括的又は個別的な命令により、特定の用務を果たすために通常の勤務先(あるいは自宅)から出発し、用務地に赴き、右用務を果たして勤務先ないし自宅に戻るまでの一連の過程をいうのが相当であり、出張に該当するか否かは、事業者の指示命令・内容(社内でどのように取り扱われていたか)、用務先へ赴く目的、右用務の内容、出張者の日常的本来的業務等を考慮して社会通念上出張といえるか否かで判断すべきである。
これを本件についてみると、原告が近畿共済の唯一の専務理事であり、原告の業務日程については、普段から原告自身が裁量で決定し、近畿共済にはその旨事後報告していたこと、原告は平成八年頃から丹波地方や淡路地方等多方面に出向いて代理商の開設を進めるなど出張業務も多かったこと、本件打ち合わせの日程調整も原告が池田らと相談して決定しており、打ち合わせ後は事務所に帰ることなく直接帰宅する旨の予定を明らかにしていたこと、本件打ち合わせは、近畿共済が池田保険と提携して新商品を販売し、営業基盤を拡大していくという重要なプロポーザル(提案)を行うべく、兵庫県貨物の所在する神戸市まで赴いて行われたものであること、兵庫県貨物の高溝専務らと原告らとが全員集って会合を開いたのは本件打ち合わせが最初であることなどの事情からすれば、本件打ち合わせへの参加行為は、社会通念上、日常的な外勤業務等の単なる公用外出ではなく、出張と解するのが相当である。
(二) しかしながら、出張中に発生した事故といえども、労災保険法に定めるのと同様、その出張に予定された「合理的経路からの逸脱又は往復行為の中断」と認められる事情が存すれば、右事故は、業務中の事故とは認められないと解すべきである。なぜなら、出張途上ないし帰路途中(以下「往復行為」という。)の事故が原則的に業務中の事故と認められる理由は、往復行為が出張で行うべき特定の用務を果たすために必要不可欠な行為であって、右用務と密接関連性を有し、事業主からの包括的又は個別的命令に服しているのと同視されるからであり、その往復行為が業務とは関連性のない目的等のためになされたのであれば、右往復行為は、経路において重なっているだけで、実質的には単なる私的行為にすぎず、事業主の右命令に服しているものとはいえないからである。
そこで、被告は、本件事故は、本件会食行為等により往復行為が中断した後に発生したものであるから、業務中の事故に該当しない旨主張するので、以下検討する。
(三) 右判示のとおり、往復行為の中断事由が存するか否かについては、右事由が出張で行うべき特定の用務の遂行と密接関連性があるか否かで判断されるべきである。
そして、本件会食行為等は、本件打ち合わせに引き続いて行われたものであり、本件打ち合わせの目的は、近畿共済と池田保険とが共同して新たに販売する新商品の兵庫県貨物に対するプロポーザルであり、三者間の業務提携という重要営業事項に関する打ち合わせである。その上、右企画が成功するか否かは、兵庫県貨物の理事会の賛同を得て、その組合員に対する斡旋が積極的に行われるか否かにかかっているところ、本件打ち合わせの相手方は兵庫県貨物の専務及び常務であり、前記認定によれば、本件打ち合わせによって、両名の協力意思を得て、業務提携の見通しがつき、さらに右企画を確実に成功に導くためには右両名との信頼関係を深めて円満な関係を維持することが必要であったと考えられる。そうすると、相手方である兵庫県貨物側から「ふじ幸」での会食の招待がなされたときは、原告及び池田がこれを安易に辞退することは慣例上困難と認められる上、右会食中においても、右経緯からすれば、引き続き業務提携に関する話も行われ、さらに相互の協力体制が深まったものと認めるのが相当である。したがって、右会食行為は、出張で行うべきであった新商品のプロポーザルという用務の遂行と密接関連性を有するものと認められる。
次に、右会食に引き続いて行われた「スナック太田」での接待行為は、前記認定事実によれば、右会食を受けてこれに応えるべく池田が提案したものであり、新商品の営業活動に赴いた原告及び池田の側で、兵庫県貨物を接待しても不自然ではないところ、逆に同社の高溝専務らから会食の招待を受けたことに配慮して、彼らを二次会に招待する行為に及ぶのは、一般に広く営業業務上の慣例として行われている接待行為(事業主から営業上特命として指示され、又は営業上必要なものとして許可を得ている接待行為)と何ら変わるところはないというべきである。また、右二次会において、飲酒行為があったり、カラオケが興じられたとしても、引き続き業務提携に関する話題がもたれていたこと(証人池田)や、本件打ち合わせの重要性、及び本件打ち合わせや右会食との連続性にかんがみれば、単なる親睦目的の会合や私的遊興といえないのは明らかであり、出張の目的たる用務との密接関連性が失われたものということはできない。
(四) 以上によれば、本件会食行為等には、出張たる用務との密接関連性が認められ、出張に伴う往復行為の中断事由には該当しない。
2 本件乗越しは「合理的経路からの逸脱」といえるか否か。
(一) 原告の予定された帰宅経路は、京都駅でJR奈良線に乗り換え、黄檗駅で下車するというものであったところ、京都駅を乗り過ごすことは、形式的には右経路からの逸脱があったといえる。
しかし、「合理的経路からの逸脱」というためには、経路からの逸脱という客観的側面だけではなく、右逸脱の目的、内容といった主観面や、逸脱の経過、通勤又は業務との関連性の有無・程度等についての考慮が不可欠というべきである。なぜなら、そもそも合理的経路からの右逸脱後の事故・災害が本件保険契約における保障の対象とされないのは、右逸脱がおよそ通勤又は業務と関連性が認められず、全くの私的行為であって、本件保険に付された本件特約の趣旨が、かかる私的行為については保険給付の対象外としていると認められるからである(本件特約の趣旨は、労災保険において、私人としての自由行動が事業主の指揮命令・管理下に属しない代わりに同保険の保護対象とはならないのと同旨と解される。)。
(二) そこで本件について検討すると、原告が、新大阪駅で新幹線からJR東海道線に乗り換えた時刻は午後一〇時二〇分頃と推測されるところ(乙五)、本件会食行為等からの深夜の帰途であることや、そのころの原告には出張業務が多く疲労していたこと(甲八、証人鍋嶋、証人池田)等の事情からすれば、乗車後に車内で仮眠し、同列車が京都駅に到着したことに気づかず、そのまま乗り過ごしたとしても、直ちに出張に予定された合理的経路からの逸脱があったとはいえない。また、原告が京都駅を乗り過ごしたのは、意図的なものではなく、単なる寝過ごしであり、米原駅下車後も家族に乗り過ごしの事実を電話連絡して直ちにタクシーに乗って帰宅しようとしたことからすれば、原告は、終始帰宅の意思を有していたことが認められ、途中で通勤又は業務とは関係のない私的な意図・目的による経路の逸脱・乗り越しがあったとは認められない。
なお、被告は、客観的に見て時間的にも距離的にも大幅な乗り越しであるから、もはや合理的経路の範囲内とはいえない旨主張するが、原告の主観面等に照らせば、合理的経路からの逸脱と認めるに足りる事情とはいえず、被告の右主張は採用することができない。
(三) したがって、本件乗越しは、合理的経路からの逸脱とはいえないから、結局、本件事故は、本件特約所定の保険事故に該当するというのが相当である。
3 原告に対して支給されるべき保険金額
(一) 入院保険金 九〇万円
原告は、前記第二の一4のとおり、本件事故が発生した平成八年三月六日から同年一〇月二六日まで合計二三五日間入院したことが認められ、本件保険契約約款第七条一項、二項によれば、約定の入院保険金日額(一日五〇〇〇円)を事故の日からその日を含めて一八〇日の限度で支払う旨定められているから、原告に支給されるべき入院保険金は九〇万円(五〇〇〇円×一八〇日)となる。
(二) 手術保険金 二〇万円
原告は、前記第二の一4のとおり、平成八年三月一四日、大阪脳神経外科病院において、頭蓋内観血手術に該当する開頭血腫除去術を受けたことが認められ、本件保険契約約款第七条四項によれば、事故日から一八〇日以内に右事故の治療のための手術を受けたときは、手術保険金を支給する旨定められているから、原告に支給されるべき手術保険金は、二〇万円(五〇〇〇円×四〇)となる。
(三) 後遺障害保険金 一一四二万円
(1) 前記(一6)認定の事実によれば、原告が現在有する障害は、本件事故による負傷に起因する左片麻痺、大脳高次機能障害等の後遺障害であると認められ、その程度は、「身体の著しい障害により終身常に介護を要するとき」(乙二・別表2の10号)に該当すると認めるのが相当である。
(2) 右別表2の10号の規定によれば、一〇〇パーセントの割合で、後遺障害保険金を支給するとされているから、原告に支払われるべき後遺障害保険金は、約定の後遺障害保険金満額の一一四二万円となる。
(四) 合計
以上によれば、本件保険契約に基づき、原告に支給されるべき保険金の合計額は、一二五二万円となる。
第五 結論
よって、原告の本訴請求は全部理由があるから主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官渡邉安一 裁判官三木素子 裁判官井上博喜)